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すずやー古今ーは どんなとこ?

■初めにー古今(ここん)ーという屋号が決まり、
この建物の使ってもらい方が決まりました♪


この場所を使って「いまむかし」の日本を感じてもらえる・楽しんでもらえる、
“今”を映す発信の場に!!
という思いを込め、改築が始まりました。

例えば、日本家屋の佇まいを背景にした撮影会や古民家自体の鑑賞会、
刀剣鑑賞会や歴史・文化にまつわる講演会などもやりたいですね。

茶道や華道、アレンジメントフラワー、殺陣やヨガ、お料理教室、お料理会などの
カルチャースクール、みなさんと共におこなうワークショップなんかも
気軽に参加できる服装も自由な初級編の催しもやっていきたいです。

プロジェクターカメラ・ジンバルなどの撮影機材もありますので
DVD鑑賞、ぬい撮りなどの推し活やセルフフォト、
さらにはレギュラーやスポットでの動画撮影スタジオとしても活用いただけます。

お友だちや一緒の趣味を持った方々と楽しみを共有できる場に
してもらえればと思っています。
■コンセプトは、繭玉と扉!?


ー古今ーの英語表記は、「kokon」や「cocon」と」書くところ、
『cocoon』としました。

『cocoon』は、“繭玉(まゆだま)”を意味します。
発音が近いのもありますが、その意味合いに言葉遊びも重ねました。

当建物では養蚕はしておりませんでしたが、
地域では盛んに行われていた産業のひとつでもあります。

建物の囲われた空間の中で、お友達や一緒の趣味の方々が集う、
楽しめる場にしていきたいという思いを乗せるのにしっくりくる表記であり、
それが、改築の方向性をしっかりとしたものにしてくれました。

さらに当建物は、特徴的な扉(窓)を多く使っています。
蔵の内扉が玄関ですし、昭和初期の模様ガラスをはめこんだ鉄扉、
茶室に続くにじり戸、細格子の障子戸など、
扉や窓(同じ意味合いで、額縁に鏡をはめた姿見や階段箪笥など)の先に
世界が広がり、守られた世界との繋がりと境界を感じる象徴として配しています。

ありそうでない「いまむかし」の風景。
癒し楽しみの扉の中(繭玉)の空間として、ご利用いただければと思います。
■今回(-古今ー)で4回目の改築⁉



築百年の建物ですが、建てた当時の形をそのまま残してきた訳ではありません。
どこか面影を残しながらも、その時々の“今”を映して残してきました。

家主は代々変わりはありませんが、
石切(特に石切参道地域)の変化に合わせて
この建物の使い方も形も変えてきました。

約100年前、当初は居宅として建てられましたが、
ほどなく電車を利用した千手寺さん、石切さんへの参拝が増え、
この建物で、うどん屋を始めることに!!(1回目の改築)

ちなみに当家のそれ以前の生業としては、
当地にて果樹園や川沿いで水車小屋を持っており、
くすりの原料を水車を使って挽いていました。
石切界隈に多くあった風景の仕事です。

話が逸れましたが、その後、石切神社前に飲食店を移転させ、
(今の石神社前店です)
また居宅に戻しました。(2回目の改築)

さらに石切への参拝の来街が増えていき、
再び物販店と飲食店を始めました。(3回目の改築)

少しのお休みを経て
レンタルスペース&フォトスタジオ「すずやー古今ー」となりました。

“今”の石切と共に、そのカタチを変え、
その“今”を刻んできたのが、この建物になります。

“街が活きているからこそ、この建物も活きている”

石切の“今”がつまった建物として、
“時”を紡いでいきたいと思います。
■天井裏へも上がって頂けますが。。。


階段箪笥を上がりますと二階に行くことが出来ます。
当時の木組みの梁と土壁と百年物の箪笥など、
実際の生活や地域の祭りに使われていたものを
ご覧いただくことができます。あと模造刀も。。。

もともと天井裏で今回の改装時に
階段箪笥をもらい受けたこともあり少し手をいれ
作った場所です。
大広間を覗いてもらうこともできます。

基本、階下から眺めてもらう場所ですが、
二階にお上がりなりたい方は、
店の者にお声がけ頂きたいのと、
その際の注意事項もあります。

・スペースの大きさから一度に上がってもらえるのは
4名様までといたします。

・二階は移動可能なエリアとそうでないエリアがあります。
階段を上がって左手の約2×3mの平エリアのみ立ち入り可能です。
梁に触れていただくのは構いませんが、
乗ったり超えたりするのは、お控えください。
梁の向こう側は、加重を想定した造りをしておりませんので
大ケガと家屋の大きな損傷を招く恐れがあります。

・天井はかなり低くなっております。
絶えず上部への意識も持ちながらお使いください。
天井部は汚れが付きやすく鋭利な突起物がないとは言い切れません。
動き回るというより、あまり動かず簡単に眺める場としてもらうのが無難です。

・階段箪笥の上がり下がりにつきまして。。。
手すりもなく、家屋に完全固定されたものではなく
古い建具ですので、揺れもありますので
滑りやすい靴下などはお脱ぎになり、細心の注意を払い
臆病に動いてもらえればと思います。

以上、古今全体、安全第一でご利用頂ければと思っております。
■古今の調度品について

古今は、その「当時の石切の生活を今に伝える・触れる・楽しむ」を
コンセプトに立て直しを行いました。

100年以上、その間、その時代に合った使われ方(お商売)をしてきた建物です。
現代物を極力排し、「その当時にあってもおかしくないもの」をという考えにて
改装をいたしました。

調度品についても同じ考えにて、
当家にあったもの、当地にあったものを多く置いています。
(当家にあったものは、販売していたものも含まれますが)
調度品は、時代に新旧がありますが、石切で現役で使われていたものになります。
建物よりも古いものもそこそこあります。

代わりのないものや譲り受けをさせていただいたものも多くあり、
地域の方々の生活に触れられる機会として
調度品も愛でてご利用いただければと思っております。

今後お客様の要望により、ご利用いただけるお品も随時増やしていきたいと思います。
■すすけた壁を残しました


古今玄関を入った茶室の左手に
すすけた壁があります。

以前に貼った壁を外すと建設当時の壁が出てきました。
ここでは元々、おくどさん(かまど)があり、
薪をくべって火をおこしていました。

へっつい(羽釜)で、湯を沸かし、出汁を炊き、ごはんを炊いて
うどん屋をやっていた名残りで
壁や柱が一面黒く煤けております。

この参道という地にあって
代々お参拝の方々に給仕を行ってきたきたことが
分かるひとつの証として残しました。

水瓶などは当時のものです。
井戸から水を組み入れ、使っていました。
50年ぶりに元の場所に戻しました。

お米のモチーフが、地元の子供たちが育てた稲を
オープンの記念にと頂戴したものです。



写真は古今施設写真の6Yを使用
■古今はなれの入口建物と水源について


古今はなれは、母屋の奥、参道(道路)沿いからは
見えないところにあります。

古今はなれの建物自体は、築70年ほどで
母屋を建てた棟梁のお弟子さんが
若かりし頃に立てた平屋になります。
このお弟子さんは、宮大工として活躍され、
後に東大寺や京都などの名だたる社寺の改修などにも
加わられた方でした。

そのはなれに参道から入るのに通る
母屋横の建物は、古今母屋より更に40.50年古い建物になります。
果樹などの物販や物置、生活に使われてきました。

建物は、水源のある溜池の上に立っていましたので
高床式の建物になり、今も高床のまま、
床下には池の石垣が見える状態で建っています。

現店主が幼少のころは、もう池はなかったのですが、
水源は残っていましたので、
家の敷地に全長20mほどの小川が流れておりました。
沢蟹なんかもいました。のどかなところです。

敷地内には、まだ深さの違う現役の井戸が2基あります。
石切参道は山の斜面にありながら
昔から来街の方々に給仕が出来たのは、
この水源に沿って商店が立ち並んだことも大きな要因だと思われます。
そのひとつが、古今になります。
■「竹小舞の小径」「竹小舞の縁側」ついて

竹小舞「たけこまい」と読みます。昔の家屋の壁は、土で作り上げられていました。
土で壁を作り、その上から、漆喰や化粧塗りをしたものが日本家屋の伝統の壁になります。
壁面に土を塗り付ける際に芯材として使われいたのが「竹小舞」になります。

昔の日本家屋は基礎石(礎石)の上に柱を立てて作られているので
かすかに家屋が揺れることで強度を保つ構造(あそび)となっており、
土塀や土壁もそれに合わせた、しなやかさや必要で(そうでないと壁が崩壊します)
柱の強度を保ち、時には力を逃がす機能性も併せ持った素材として使われていました。

現在では社寺殿など文化的価値やそれを踏襲した修繕など、その活躍の場が
かなり限られる伝統工法・技法になります。竹小舞がなくても壁が左官できてしまいます。

古今は「その当時の技法も今に見てもらう」ようにしたいという考えから
スタートをしました。

竹小舞。。。依頼をしたのですが。。。
職人さんを探すのにとても苦労しました。
数か月かかりました。
それのみの仕事というのが、現代においてほとんど存在せず、
あったとしても現地で組むほどの大仕事もなく
専門の職人さんも日本で数えられるだけになっていました。

そのようなこともあり、ぜひ見てもらえるように残したいという想いから
「竹小舞」は、土壁の中に入っていて見えない技法ですが
それを外壁にすることで、実際に見てもらえるように
「竹小舞の小径」と「竹小舞の縁側」をつくりました。

小舞職人さんに、「むき出しで見せる壁面を手掛けられたことはありますか?」
と尋ねたら「これまでやったことも、見たこと聞いたこともない。
見てもらえる仕事が出来たのは、とても嬉しい。」と
喜んでくださったことも嬉しいことでした。

「竹小舞の小径」「竹小舞の縁側」は、
ここにしかない日本の風景。貴重な伝統技法の風景です。
その場に浸ってもらえればと思います。
■「砂紋の庭」について

京都のお寺さんに行かれたり、テレビなどで「枯山水」のお庭を
見られたことなど、いくらかあるかと思います。

水を使わずに砂や石、苔などだけで、山や水など自然の景色を表現した
日本庭園にことです。

周りの庭園木々や遠くの山々との調和や対比の美。

その中で、躍動や静寂の流れを構成するひとつが
「砂紋(さもん)」「箒目(ほうきめ)」です。
京都では、東山、比叡山あたりから流れる白川の砂が使われており、
熊手のような道具を使い、さざ波、うねり、波紋など
水を表現した模様が丹念に描かれることが多いです。

古今では、地元の素材にこだわり
和泉砂岩層の石、「御所石(ごせいし)」を入れた
「砂紋の庭」を作りました。

「砂紋の庭」へは、自由に入っていただけます。
紋を描く熊手と消すためのトンボをご用意していますので
自由に砂紋を描いていただけます。
世界にひとつだけの砂紋も描いてみてください。
消しては描きをしていますと、いつの間にか夢中になって
童心にかえった気持ちになります。
■果樹の庭にヤマトタチバナ(大和橘)があります


大和橘は、日本最古の柑橘の原種で、現在は絶滅危惧種に指定され
地域によっては天然記念物に指定されている希少な柑橘です。
奈良県、和歌山県、三重県、山口県の一部で自生や保存を含めた栽培がされています。
この種を元に品種改良を重ねて、現在食べられている柑橘系も多くありますので
日本の柑橘のご先祖様のひとつになります。

古事記、日本書紀では「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」
「非時香木実(時じくの香の木の実」と呼ばれ
常緑で葉も花も実も香りがつよく長く香ることから
不老長寿や永遠を意味付けされた、大変縁起の良い樹木になります。
小さな実をたわわにつける(すずなり)姿から、
神楽舞の鈴は、この様を模したのではないか、
この橘を使って舞を奉納していたのではないかという説もあります。

大和橘は「右近の橘・左近の桜」と京都御所の内裏にある紫宸殿に植えられおり、
雛飾りの橘と桜はそれにあたります。

また現在の500円硬貨のデザインにも採用されており、文化勲章の模様にも、
太古より大切にされてきた樹木になります。


古今の「果樹の庭」には2樹。2年と3年の苗木があります。(オープン時)
開業の記念にとお客様がら頂戴しました。
この2樹は別々のところから来たもので
ひとつは、奈良県、
廣瀬大社の2,000年前からの神木、『大和橘』の穂木をいただき、接木した苗木です。
もうひとつは、和歌山県、
柑橘やお菓子の祖、橘本神社(きつもと)の穂木をいただき、接木した苗木になります。

古今の繁栄と共に木々もしっかり成長させていきたいと思います。
当施設にお越しの際は、ぜひご覧になってください。果樹の庭の向かって左手に
2樹並んで植わっています。